ブロ楽

気分でがんばるブログ

今日の1曲【Limp Bizkit - Rollin' (Air Raid Vehicle)】

 

youtu.be

気が向いたら好きな曲を載せていく

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
リンプ・ビズキット
Limp Bizkit in Paris during the 2009 Unicorns N' Rainbows Tour.jpg
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
フロリダ州ジャクソンビル
ジャンル ニュー・メタル[1][2]
オルタナティヴ・メタル[1][3]
ラップメタル[2][3]
ファンク・メタル[3]
ラップコア[3]
ラップロック[3]
ヘヴィメタル[3]
ハードロック[3]
ヒップホップ[2]
活動期間 1994年 -
レーベル キャッシュ・マネー・レコード
インタースコープ・レコード
ゲフィン・レコード
共同作業者 ブレンダン・オブライエン
 
メンバー フレッド・ダースト
サム・リヴァース
ジョン・オットー
ウェス・ボーランド
DJ リーサル
 
旧メンバー マイク・スミス

リンプ・ビズキット(Limp Bizkit)は、アメリカ合衆国のニューメタル/ラップメタル・バンド。

来歴

  • ジャクソンビルにライヴに来ていたコーンのメンバーに、入れ墨を彫りに来たダーストがデモを渡し、それがきっかけでデビューすることになったというのは有名な逸話だが、これは誤り。実際は、フレッドがいつの間にかコーンのツアーバスにリンプのデモテープを放り込み、そのデモを気に入ったメンバーがパーティーに呼び、デビューが決まった。そこで酔ったフレッドがコーンのギタリストの背中にタトゥーを彫ったという。KoЯnと彫ったつもりが酔っていたせいでKeЯnと綴りを間違えた。
  • 2003年 - 4作目のアルバム『リゾルツ・メイ・ヴァリー』(Results May Vary)発売。全米初登場3位。リンプらしくないと批判を浴びる。一部のライヴでは観客からブーイングが巻き起こる。このアルバムのみバンドロゴをlimpbizkitとしている。
  • 2004年 - 公式サイトにて、ウェスの復帰が伝えられる。
  • 2006年 - ウェスが再脱退。それにともないバンド活動を一時休止。
  • 2009年 - Download Festivalのオーガナイザーが、「ウェス・ボーランドLimp Bizkitに戻ったのか?」という質問に対し、「Yes、100パーセント。」というコメントをしている。
  • ウェスの復帰が正式に発表され、同年、"Rock Am Ring"や"Rock Im Park"などでライヴ活動を再開。SUMMER SONIC 09にも出演。
  • 2012年 - 新たにキャッシュ・マネー・レコードと契約を交わす。ところが、フレッドとジョン、DJ リーサルとの間でドラッグ・アルコールをめぐる問題で口論となり、DJ リーサルが急遽脱退してしまう。一度は復帰したいことをほのめかしていたが、結局バンドから解雇された。
  • 2018年 - DJ リーサルが復帰。

音楽性

ジャンルとしてはヘヴィメタルヒップホップを融合したラップメタルに分類される。フレッドの甲高いMCと、ウェスの奏でる変態的ともいえる独特のギター・サウンドが持ち味である。

また、1980~90年代のポップス・ロックにもこだわっているようで、これまでにジョージ・マイケルの「フェイス」にザ・フー「ビハインド・ブルー・アイズ」、モトリー・クルー「ホーム・スウィート・ホーム」、ザ・ヴァーヴ「ビタースウィート・シンフォニー」の3曲のカヴァー曲(「ホーム・スウィート・ホーム」と「ビタースウィート・シンフォニー」は、1曲にまとめてカヴァー)をアルバムに収録。ライブでも、ニルヴァーナの「ユー・ノウ・ユーアー・ライト」やハウス・オブ・ペインの「ジャンプ・アラウンド」なども披露している。

ブラック・フラッグヘンリー・ロリンズは「俺が17歳だったら、最高に好きなバンドだった。」と語っている。しかしアンチ派もおり、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンザック・デ・ラ・ロッチャは「僕たちが積み上げたヘヴィロックの歴史はリンプ・ビズキットが700万枚売り上げた日に崩れ去った」と発言するなどして、嫌悪している。ほかにトゥール/ア・パーフェクト・サークルのメイナード、スリップノット/ストーン・サワーコリィ・テイラーヘッド PEのジャレッド、マリリン・マンソンなどがリンプを名指しで批判するなど、敵は多い。とはいえ、スリップノット主催のフェスKnotfest JAPAN 2014の出演が決まっていることなどを考慮すると現在は少なからず認められてる様である。

中でも最も有名なのがエミネム(Eminem)との抗争で、もともとは同じレーベルに所属し共にツアーを回るなど友好な関係(リンプの楽曲ブレイク・スタッフのミュージック・ビデオにはエミネムが出演している)であったが、DJリーサルの元バンドメイトのエヴァーラスト(Everlast)とエミネムのDJとが争った際に、DJリーサルがエヴァーラストを擁護したことで関係が悪化、エミネムが自身の楽曲ウィザウト・ミーの中でリンプを批判するなど、絶縁状態となったが、現在は和解した模様。

ただ、そうしたアーティスト達の中にも、リンプ・ビズキットのパフォーマンス(特にウェス・ボーランド)を評価する人は多い。

メンバー

 
ウェス・ボーランド
タトゥデザイナーで、海軍に在籍していたこともある。インタースコープ社の副社長で、自身のレーベル「フローレス・レコード」の経営者でもある。バンドのビデオの殆どで監督を務めている。恋人との性行為を納めたビデオが流出してしまった。赤い野球帽がトレードマーク。
ヴァージニア州出身。独特のギター・リフと数々の奇抜な全身メイクで観客を熱狂させる、メタル界屈指のギタリスト。結成当初からのメンバーだが、2001年に脱退し、2004年に復帰。2006年に再脱退し(ブラック・ライト・バーンズへ加入)、2009年に再び復帰した。フロント・マンを務めるBig Dumb Face、Eat The Day、Black Light Burnsマリリン・マンソンで活動していた。2008年3月30日東京ドームで行われたX JAPANの復活ライブ「攻撃再開 2008 I.V.〜破滅に向かって〜」に、ガンズ・アンド・ローゼスリチャード・フォータスと共にゲスト出演した。大のウサギ好きで、常にペットとして生活を共にするほどである。趣味で油絵も描き、いくつかの作品のジャケットアートを手掛けている。私生活では結婚と離婚を繰り返している。
フレッドの旧友。スキンヘッドがトレードマーク。元妻はプロレス団体・WWEのオーナー、ビンス・マクマホンの次女。その縁もあってか、団体最大の興行レッスルマニアのテーマ曲を過去に2度務め、ライヴも行っている。
  • ジョン・オットー(John Otto、1977年3月22日 - ):ドラムス
リヴァースの従兄弟で元ジャズ・ドラマー。「真実への逃避」にはドラッグ問題により1曲のみの参加となっており、彼が解雇されている映像が収録されている。現在は完治し、バンドに完全復帰している。
ハウス・オブ・ペイン(House Of Pain)のサウンド・クリエイター。

旧メンバー

  • マイク・スミス(Mike Smith):ギター
元スノット(Snot)のギタリスト。ボーランド脱退後のアルバム第4作目の製作とそれに伴うツアーに参加。

ツアーサポート

Kornのギタリスト。2003年に参加。
2013-2017年に参加。
  • サミュエル・G・ムプング(Samuel G Mpungu):ベース
2015-2017年に参加。
  • ツヅミ・オカイ(Tsuzumi Okai):ベース
四人囃子のドラム岡井大二の姪。2018年から参加。

 

※アマゾンアソシエイトを利用しています。